いくつもの雲が流れ 前編
    


   1、天からは雨が降る

 
  人里離れた緑豊かな森に、突如、静けさを破って女性の悲鳴がつんざいた。

  しばしの休息のため、木々の枝に止まって羽根を休めていた鳥たちが、驚いていっせいに

 空へと飛び立っていく。

                      りくと
  同じ頃、森の中で狩りをしていた陸都は、胸に突き刺さるようなその悲鳴にはっとし、

 声が響いてきた方角を振り返った。

 (……何だ……?)

  長弓を引き掛けていた手を止めて、じっと耳を澄ませてみる。

  静寂の中のざわめき、風の微かな震え。

  しかし、飛び立つのに遅れて今ようやく飛んでいった鳥が、哀れな声で鳴いている他は、

 もはや、何も聞こえてはこなかった。

  陸人は、持っていた矢を背中の矢筒に戻すなり、急いで走り出した。
                   り し な
 
 今のは何だ? 確かに、李紫奈の声だった。しかし、悲鳴とは……?

  奇妙な胸騒ぎを覚えて、陸都はさらに足を速める。

  不吉ともいうべき胸の鼓動。心を掻き乱す抑えがたい不安。

                                            
  鋭く尖った木の枝で頬に傷がつくのも構わずに、陸都は自分の家である庵に向かって、

 ただ、ひたすらに走った。

  次第に乱れていく自分の呼吸だけが、異様なほど耳につく。もともと静かな場所とはいえ、

 森を渡る風も、木々の囁きさえも、今は聞こえてこない。

  しんと静まり返ってしまった森はかえって、これから起ころうとしている事を予感させ、不気味だった。

  走り続ける陸人の頭の中では、妻である李紫奈の笑顔が、ふと、浮かんで消えた。

  何事もなければいいが……そう願わずにはいられない。

  歩き慣れた森をやみくもに駆け抜け、立ち並ぶ木々の間からようやく庵が見えてきた時、

 陸都は思わずほっと胸を撫で下ろした。どこも何も変わった様子のない自分の家が

 いつもより恋しく思える。狩りが失敗に終わった日も、どんな時でも、あそこはいつものように

 暖かく迎えてくれる。そして、あそこには自分を待っていてくれる人がいる。

 (気のせいだ。そうに決まっている)

  この妙な胸騒ぎは思い違いだと、陸都は自分に言い聞かせた。

  特大の鼠か、それとも蛇か何かが出て、それで、驚いた李紫奈が悲鳴をあげたのだろう、と……。

  しかし、庵との距離が縮まるにつれて、再び気分が悪くなる程の不安を覚えた。
 
  入り口のあたりに、見慣れない人影がある。稀どころか、絶対に他の人間が来ることのない

 この森に、部外者が三人。しかも、遠目にも男と分かる。

 (何が起こったというのだ?)

  その一瞬の動揺が足をもつれさせ、次の瞬間には、突然、景色が揺れて視界が変わったかと

 思うと、じめっとした苔と土と草の匂いが鼻についた。

  木の根が走る地面が目の前に迫る。足を取られたのだ。

  倒れた反動で、背中の矢筒からすべての矢が落ちてしまい、地面に散乱している。

  陸都は思わず、くそっ、と罵りの言葉を吐き捨て、散らばった矢もそのままに素早く立ち上がると、

 また走り出した。
  
  そんなことよりも、李紫奈の無事と庵の前にいる白装束の男たちのほうが、よほど気に掛かった。

  ただ事ではないことくらい、感じ取ることは出来る。

  李紫奈に何かあったのは間違いない。

  陸都は恐怖すらも感じて、震えてくる身体を止めるために、ぎゅっと拳を握り締めた。

  そして----。

 「李紫奈!」

  陸都は我を忘れて絶叫した。

  信じられない光景に寒気がし、全身に鳥肌が立った。

  血に塗れた太刀。それを手にする白装束の男。その両脇で、嘲笑するように立つ二人の男たち。

  地面に突っ伏したまま全く動かない李紫奈の姿。それらが物語っているのは、ただひとつの事実。

 (李紫奈が殺された!)

 直感ではない確信が陸人の心を矢のように走り、同時に、奥底から怒り溢れ出した。

 「貴様ら……よくも李紫奈を!」


  陸都は木立を突き抜け、長弓を脇に放り出し、震える手で腰の太刀を掴むと、鞘からすらりと

 それを抜き払いながら、李紫奈のまわりに立つ男たちに向かっていった。

  声に気付いた男たちが、何事かというように、しかし、毅然とした態度で陸都を振り返った。

  その内の二人が、いっせいに太刀を抜き払う。

  陸都も奇声を発して、太刀を上段に構えた。頭の中は真っ白だった。今しようとしていることさえ、

 何を考えているかさえ、自分でも分からなくなっていた。ただ、目に映るすべてのものがおぞましかった。

  その時、激しい感情の波に呑まれようとしている陸都を、ふと、冷静にさせるものがあった。
 
  声を聞いて意識を取り戻したのか、李紫奈が顔を上げようと、微かに頭を動かしている。

 (生きている!)

  日常の中ではそれが当たり前のことだというのに、人が生きているという強い力を、陸都は

 まざまざと、しかし、哀しいほどに感じた。
 
  李紫奈はまだ生きている。そう安堵したのも束の間、小刻みに震えながら、ゆっくりとこちらに

 向けられた李紫奈の顔を見て、陸都ははっと息を呑んだ。

  蒼白とした顔は血の気が失せ、もはや生気のない、まるで死に人のような虚ろな表情をしている。

  瞬間、血の凍るような、痺れるほどの寒気が体中を走った。

 (死ぬのか? 死んでしまうのか?)

  心の中を重苦しいものが這いずり始める。李紫奈の存在を失うことへの恐れが、黒い渦を巻いて

 いるような、そんな気がする。

  しかし、恐怖よりも怒りが打ち勝った時、陸都はきっと正面を見据えた。刃の向かう先には、

 太刀を手にした男たちが待ち構えている。

  陸都は、理性を失う寸前まで気持ちを高めて、男たちを睨みつけながら、怯むという言葉も

 感情すらも忘れて、走り込んでいった。

  相手は三人。その内の二人が陸都を阻むように進み出で、幅広の太刀を構え直すと、

 声も発せずに、しかし勢いよく切り掛かってきた。 

  陸都は振り上げていた太刀を横にし、相手の太刀を受け止めて素早く弾き返すと、

 り来るもう一方の太刀をなんとか寸前でひらりと躱した。
       
かざしろ
 「貴様ら、風代の!」

  相手の着ている装束の紋を間近に見て驚いた。

  風代の紋。

                                   こうさ
  忘れもしない。五年前の戦の時、陸都の故郷である光叉の国は、この紋をつけた兵士ら

 に壊滅させられたのだ。

  その時の惨状をまざまざと思い出した陸都は、また寒気のようなものを感じ、感じながらも、

 太刀の柄を力強く握り締めて、再び切り掛かってきた男にそれを振るった。

  速さと力が加わった太刀は、相手の肩にざっくりと食い込んでゆく。

  肉に埋まってゆく太刀の手応えを感じながら、陸都は呪わずにはいられなかった。

 (なぜ、またここに来た? 奪えるものは全て奪っていった風代の者が、ようやく平和を

 安らぎを取り戻した光叉に、何故にまた来たのだ!)

  陸都は低く呻いて、相手の体から太刀を引き抜くと、その反動で後ろを振り返った。

 そこには-----。

  血の海に横たわる李紫奈の姿があった。

                
  腹部を押さえる手は血に塗れ、白い衣は鮮血に染まり、長い黒髪は地面の上に乱れている。

  それでも李紫奈は、か細い息の中で懸命に何かを訴えようとしていた。

  瞬間、陸都の中にある情景が浮かんだ。李紫奈を介抱しようとしゃがみ込んだ自分に、

 鋭い太刀の一撃が振り下ろされるのを……。

  陸都ははっとして後ろを振り向き、切り込んできた白装束の男の太刀を素早く太刀で受け止めた。

  冷たく鋭い金属音が、静かな森へと響いていく。

 「これが風代のやり方か!」

  悲鳴に似た声で絶叫しながら、陸都は相手の太刀を払い退けると、態勢を崩しているところへ

 鋭い突きを繰り出した。

         
  一寸の狙いも違わずに、左胸へと深く突き刺さる。男は絶鳴をあげることなく息絶え、

 陸都がその体から太刀を引き抜くのと同時に、地面に崩折れた。

  陸都は間髪を入れずに、残った最後の一人へと跳躍し、同時に太刀を袈裟懸けに一閃した。

 「光叉から全てを奪った風代が、また俺から李紫奈を奪うのか!」

            たぶら
 「奪うだと? 李紫奈を誑かし、私から妹を奪った光叉の野蛮人めが!」
  
みずら
  角髪に結った黒髪を乱しつつ、派手な刀戟の音を鳴り響かせながら、鍔の部分で陸都の一撃を

 受け止めた男は、凛とした低い声で言い放った。

 (……妹だと!)

  ぶつかり合った刃越しに、陸都は驚愕した。

 (この男は、李紫奈の兄だというのか!)

  李紫奈が何も話さないため、陸都もこれまで過去の話を聞いたことはなかった。誰にでも

 話したくない過去はある。無理をしてまで聞くことでもないと、そう思ってきた。

  だが……。

  妹を平気で殺める兄が、この世にいるだろうか?

  陸都はむしろ、李紫奈に兄がいたことよりも、その兄が妹に刃を向けたことのほうが驚きだった。

  しかし、実際に起こってしまった後なのである。

  確かめるまでもない。

  目の前にある男の太刀には、乾いた血がこびりついているのだ。

      
  陸都は慄然とした。こんなことがあっていいのか、と。

  男の言ったひと言が陸人の心に動揺を招き、その一瞬に生じた隙が、次の瞬間にはすべての

 運命を決めていた。

  わずかな隙も見逃さなかった男が、力任せに太刀を払い退けると、よろけて後退する陸都に向かって、

 素早く太刀を振り下ろしたのだ。

  痛いと感じるよりも、自分の身に何が起きたのか、状況を把握するのに少なからず間があった。

  それから陸都は、体から熱いものが流れ出るのを感じて、自分が切られたことにようやく気がついた。

  肩から胸、胸から足元へ、血がどくどくと流れ落ちていく。その傷が決して浅くはないことを、

 陸都自身、理解した。

  手から太刀が擦り抜け、膝が地面を打ち、李紫奈の姿を目の端で捉えながら、

  体がその場に崩折れていく。

  再び、土の匂いが鼻についた。

                  
 (またしても俺は、風代の前に跪くのか……)

  そんな思いが、陸都の脳裏を掠める。

  五年前にもそんなことがあった。もう、駄目だと、あきらめたことが。しかし、あの時は……。

  失いそうになる意識をなんとか自力で取り戻し、陸都は顔を上げて、太刀に手を伸ばした。

  まだ何か出来る内は決してあきらめてはならないと、そのことを教えてくれたのは、誰あろう李紫奈だった。

  その李紫奈すら、今は地に伏している。いちばん笑顔でいて欲しい人が、それすらままならない

 状態に置かれているのだ。

  自分がやらなくて、誰がやるというのか。

  陸都は力を振り絞って上体を起こすと、左手を支えに、さらに右手を伸ばした。

  刺し違えることなら出来るかもしれない。たとえ、それが出来なくても、せめて足に切りつける

 ことなら可能なはずだ。

  太刀の柄に指が触れ、手に取って握りしめようとした、まさにその時、気配と共に影が落ち、

 男の足が陸都の手を踏みつけた。

  自分の置かれている状況も理解できずに、まだなお楯突こうというのか、とでも言いたげだ。

  その容赦のなさと、陸都に対する男の激しいまでの憎悪が、否が応にも足を通して伝わってくる。

  ここで食い下がっては、と陸都も必死に痛みを堪えて、呻きそうになる声をぐっと飲み込んだ。

  その傍らで、男は手を踏みつけたまま、何事もなかったかのような顔をして、

  右手に持つ太刀の血を振り払い、それを逆手に握り直した。

  顔を動かさずに、鋭い切れ長の目を陸都に見据える。

  そして、少し間を置いてから、静かに息を吸い込み、吐き出すのと同時に口を開いた。

                        
 「……裏切りには死を、刃向かう者には刃を……」

  そう低く呟いて、止めを刺そうと、男が勢いよく太刀を振り上げた瞬間。

 「……もう……やめて……」
  

  傍らに伏していた李紫奈の乾いた唇から、思いがけず、言葉がこぼれた。

  その声は、今にも消え入りそうな程か細く、虫の声よりもまだ小さかった。
          

  半ば驚いて、陸都が右後方に視線を投げると、李紫奈は何かを求めるように

 地面に爪をたてて、苦しそうに顔を歪めていた。

  傷のせいでもう目が見えなくなっているのだろう。細められた瞳は潤み、

 おぼつかなげに宙を彷徨っている。

  陸都には、その苦しみが地面を伝わって感じられるような気がした。痛み、哀しみ、そういったものが。

 「もう……誰も、傷つけないで……」

  ほとんど動かない唇が、再び言葉を発する。

 「喋るな、李紫奈! ……喋っては駄目だ……」

  陸都は咄嗟に叫んだ。叫んだつもりだったが、およそ声にもならず、呻いたにすぎなかった。

  陸都でさえ意識が朦朧としはじめているというのに、はたして、李紫奈の耳に

 今の声が届いたどうかは分からない。ただ、これ以上、無惨な姿を見ていたくないという気持ちが

 自然に言わせたことだった。

  そして、胸が張り裂けそうになるのと同時に、何もしてやれない、傍らで突っ伏している

 だけの自分を呪ってやりたい気分だった。

 「……駄目だ……喋ってはいけない……」

  腹立たしさすら感じて、陸都は地面に額を擦りつけながら、悔しげに呻いた。

  体から流れ出るものと一緒に、すべての力が大地に吸われていく。
                                                  

  その様子を、何の感情も抱かずに、興味のない目で傍観していた者がわずかに身動いだ。

  先程からずっと、陸都の手を踏みつけていた男だ。李紫奈の微かな声を聞いて、

 陸都に止めを刺そうと振り上げた太刀を、それを持つ手を、しばしの間、止めていたのである。

  既に虫の息となりつつある二人の男女を何食わぬ顔で見下ろしていた男は、

 不意に表情を緩めて、哀れむように李紫奈を見やった。
       
 「それが、風代の姫ともあろう者の末路か、李紫奈よ」

  悲しげに、それでいて口惜しむように、静かな声音が言う。

  それから、太刀を持つ手をゆっくりと脇に下ろした。

  陸都ははっとして顔を上げ、さらに視線を上に向けた。

 「貴様がやっておいて、自ら哀れむというのか!」 

  地面を這いながら、出せる限りの声を絞り出して、男を睨み付けた。

  目で殺せるものなら殺してやりたいと思う。思うだけで叶うはずもなかったが。

  男も毅然とした態度で陸都に視線を投げると、少しの間じっとその目を見据えた。

  光のない黒い瞳は無感情にも見えたが、その奥に隠された殺意は刃のように鋭かった。

  逆に、その眼光で殺されるのでは、という畏怖の念が、陸都の心を静かに襲った。

 (これが風代のやり方だ。いたぶるだけいたぶって、あとは呆気なく終わらせる)
 
  波紋のように広がっていく恐怖を振り払い、陸都も負けじと男を睨み続ける。
                                                     
  しかし、男は何も言わずに、優雅な手つきで太刀を鞘に収めると、李紫奈に哀れみの一瞥

 をくれて、風のように立ち去っていった。

  寂しげな唸りを上げて、枯れ草を巻き込んだ風が、男の立っていた辺りに小さな渦を

 巻いている。それもいつしか流されていき、男の姿が木立の中に消えると、

 虚ろな沈黙だけがあとに残った。

  陸都は徐ろに地面に突っ伏すと、太刀に伸ばし掛けて、結局、男の足に踏まれ続けていた手を、

 土と一緒に握り締めた。

 (なぜだ! 何故、殺さない!)

  堅く目を閉じて、強く歯を食いしばる。

  陸都とて、殺されたかった訳ではない。

  先程の恐れが引くと同時に、心を押し寄せた激しいまでの感情。それは、怒りと憎悪だった。 

  こんな侮辱があるだろうか。

  あの男は、手を下すまでもなく、陸都がもう生き延びることはないと確信したのだ。
    
 (……奢るなよ……) 

  陸都は血を吐き出して、しびれる体を無理に起こした。

  残された余力を振り絞って、腕の力だけで李紫奈の傍にいざり寄り、妻の体を抱き起こした。

 「李紫奈」と名を呼びかけて、はっとする。

  見た瞬間、悟る以外になかった。

  おびただしい血の量。それは、止まることを知らずに流れ続けていた。

  どうすることも出来ない。

  李紫奈はもう、助からないのだ。

  助からない……。

  もう……。

  分かりきっていることを絶望的な思いで改めて認識した時、陸都は、自分の頬に涙が伝うのを感じた。
               
  たったひとりの大切な女性ですら、救ってやることが出来なかった、という後悔は

 その身に瀕死の重傷を負っていなくても、死に似る絶望を味わうだろう。

  流れ落ちた雫が、李紫奈の頬にはねる。

  「りく……と……」

  李紫奈は、陸都の心を察して名を呼ぶと、血に塗れた手を伸ばした。

  陸都はその手を握ってやり、どんなに小さな声でも聞き逃すまいと、口元に耳を近づけた。

  李紫奈の細い息が伝わってくる。

 「……いずれ……兄が、私を滅ぼしに来るだろうことは……分かっていました。けれど……私は」

  その後は言葉にならず、苦しそうな息をたてて目を細めると、悲しい顔をした陸都に向かって、

 弱々しい微笑みを浮かべて見せた。

 「私は、とても幸せでした」

  声にならない声で呟き、痛みのせいか、別れの時を悟ってか、涙を流しながらそのまま
                      
 ゆっくり瞼を閉じると、間もなく静かに縡切れた。

  木々の葉がざわめき、次第に風が強くなる。

  後ろに結んだ陸都の髪が真横になびき、見つめる視線の中で、切り揃えられた李紫奈の前髪が

 はたはたと上下に揺れた。

  もう、その優しい瞳を自分に向けてくれることのない李紫奈の顔を、陸都は自分の受けた傷の痛み

 も忘れて、しばらく呆然と見つめた。

  体はまだ温かいのに。
 
  まだ温もりが残っているというのに……。

  もう、笑うことも、泣くことも、怒ることも、話すことも、何も、してはくれないのだ。

  握り締めた李紫奈の手の指先は、もう冷たくなりはじめている。

  陸都はその手を温めでもするかのように、自分の頬に近づけると、耐え切れずにその場にうずくまった。 

  喉の奥で声を押し殺し、肩を震わせてむせび泣く。

  その時、李紫奈の死を悲しむ陸人の心を知ったように、天からは雨が降り出した。  

  李紫奈の体を抱きしめたまま地面にうずくまる陸都の背なに、雨は容赦なくその激しい

 雫を叩きつけた。背中にはねかえった雨が、飛沫をあげる。
  
みそぎ
  禊の雨……。

 (これで、すべてが終わるというのか?)

  半ば意識のない朦朧とする頭の中で、陸都はそう思った。

  否、思ったかどうかも分からない。次の瞬間。

  残されているはずのない力で李紫奈の体を抱き上げると、陸都は徐ろに立ち上がり、

 夢遊病者のように、森の外へと向かって歩き出した。             
 

(みそぎ)……水で体を清め、罪や穢(けが)れを洗い流すこと <辞書より引用>


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