サリアスの砂時計  
VOL,1



  ■プロローグ■


 誰だって、消えてしまいたくなる時があるでしょう?

 でも、そう出来ないのは、少しでも自分に未練があるからだよね?

 毎日がそんな思いの繰り返しで、ほとほと嫌気が差していた。

 何もかも、ね。

 そんな自分がいったいどこへ向かおうとしているのかも疑問だった。

 その疑問をこの世の誰が解決してくれるのよ、って悪態つきながら。

 今日もワタシは学校へ向かう支度をしている。

 イッテキマス。

 答えのない迷いの日々へ。


 
 昨日のお昼から降り出したひどいどしゃぶりの雨は、夜明け前には上がった

らしいが、空はまだどんよりと暗く曇っていた。

 誰かさんの心を表わしてるみたいだ。

 今にもまた泣き出しそうなイヤな雰囲気。

 道路には幾つかの水たまりが出来ていて、避けて歩くのが面倒だった。

 ワタシが小学生で長靴でも履いていれば、さぞ楽しい登校の朝になるのでしょう

けど。

 小舟のように、ゆらりゆらりと水たまりの上を流れる木の葉を見つけて、ふと、

歩みを止めたワタシは、小さな波紋で歪む自分の顔と出会った。

 ユメモキボウモアリマセン。

 ドラマや小説に出てくるような台詞がぴったりきそう……頭上の空と同じくらい

明るさのない顔が写っている。

 気のせいか、ひどく哀しそう……。

 確かに憂うつなことは多いけど、ワタシってこんなに悲しかった?

 こんなに悲愴感が漂うほど落ち込んでた?

 何かを訴えているような自分に見つめ返されて、まるで別人を見ているような

妙な不安に襲われたワタシは、それを打ち消すように慌てて水たまりに足を踏み

入れた。

 ハズだった。

 次の瞬間、何故だか突然、海のような荒い波の中に投げ出されていて、気が付けば

半ば溺れかかっていた。

 掴むもの、触れるもの、見えるもの、すべてが水と無数の泡だけ。

 そして、まとわりつく水圧。

 夢だと思いたかった。思いたいのに、大量に飲み込んでしまった水のせいで、

この苦しさがホンモノだと思い知らされた。

 もがけばもがくほど、搦め取られていく……まるで現実の世界みたいに。

 そうこうする内に、ワタシは程なくして意識が遠のいていくのを感じた。

 これが”死ぬ事”だと思った。

 そう、夢が覚めるどころか、闇に落ちていったのだった。




  ■そこは知らない場所■


「さて、どうします?」

 男の人の声がする。

 目の前は真っ暗で何も見えない。

「まずは、ご本人かどうか確認しなくていいの?」

 若い女性の声。ワタシよりは年上かな。

「有り得ないわね。着替えさせた時に確認したけど、女の子だったわ」

 オバサンな感じの声。ウチのお母さんと同じ年代って感じがする。

「でも、女性かもしれないという噂もおありになるんでしょう?」

 さっきの若い女性の声だ。

 女性かもしれないウワサって……なんの話?

「噂は噂だ。本気にするなど、けしからんぞ」

 別な人の声。ちょっと怖そうなオジサン?

「私もご本人だとは思いません。もちろん、噂も信じてません。では、ですよ?

この方はいったい……?」

「ウォレン、だから今それを話し合ってるんだろう?」

 ”ウォレン”と呼ばれた最初の人が、オバサンに突っ込まれてる。

「他人の空似にしては、あまりにそっくりですわよね?」

 似てる? 私が? 誰に?!

「行方不明のふれも出ていないですし、サリアス様が抜け出されたという話も

出てません」

「ちょっと待って! サリアス様って!!」

 聞きなれない名前に仰天して、ワタシはぱちりと目を開けて飛び起きた。 
 
 今の今までベッドに寝かされていたことも、その時はじめて理解した。

 それも、見ず知らずの場所で!

 ワタシもかなり驚いた顔をしていたと思うけど、まわりにいたその人たちも相当

驚いたようだった。

 1分が10分にも感じられるくらいの間があいて、そろそろ気まずくなり掛けた時、

思い切ったように口を開いたのは、若い男の人だった。

「き、気分はいかがですか?」

 ちょっとおっかなびっくりな姿勢で、声がひっくり返った。

 さっき、ウォレンと呼ばれた人ね。

 ワタシとは10違うような……25、6歳かな、と思われるその人は、キレイな刺しゅう

が施された白い服を着ていて、色の淡い黒髪を後ろで結んでいる。

 ワタシを心配そうに見る目は、澄んだビードロのような青色だった。

 ……って、青色!?

 改めて、その場にいる人たちを見まわしたワタシは、唖然とするしかなかった。

 身近ではまず見ることのない、ヨーロッパ風の衣服を身にまとった人たち。

 今度こそ、夢だと思いたかった。

「傷はなかったけど、どこか痛むところはない? 話せる?」 

 オバサンな感じだと思った人だ。赤茶けた髪をアップにまとめて、薄茶色の丈の長い

ワンピースを着ている。この場合、ドレスというべきなのかな。

 一見、怖そうな雰囲気を持っている恰幅のいい中年女性だ。

「ど、どこも……痛くないです」

 緊張から声がうわずった。

「ひとまず言葉は通じるようだが……見慣れない服を着ていたな」

 けしからん、と怒っていた人だ。

 30台後半かしら……この人も背丈があって、がたいがいい。

 誰だろう? 俳優でこんな人いたよね?というような、誰かを思い出させる男気の

ある顔をしている。

 ウォレンと比べると、アスパラと大根みたい。

「どこの国の者だ? 君はいったいどこから流れ着いたんだ?」

「……流れ着いた? ……ワタシ……流れて、きたんですか?」

「そうよ。城の東側に、岸辺に出られる場所があって、たまたま塩水を取りに出た

私があなたを見つけたの。大量に水を飲んでいて、意識がなかったんだけど……

ラグアが蘇生を施してくれて。良かったわ、命に係わらなくて」

 嬉しそうに、本当に安心したように、若い女性が両手を握り締めて、”けしから

ん”の男性と目を交わしている。 

 きっと、すごく怖かったんだ、と思う。

 波打ち際に打ち上げられている自分の姿を想像して、我ながら怖くなった。

 波の音。手足に絡みつく海草。死体みたいな青白い顔。

 思い浮かべた途端、急な吐き気と寒気に襲われて、ワタシは上半身を前のめりに

倒した。

 頭が痛かった。自分の身に起きたことがいったい何なのか、理解不能だった。

 ここはどこだろう? ワタシはどうなってしまったんだろう?

 考えれば考えるほど、ワケが分からなくなる……
 
 実際に、頭痛すら出てきそうだった。

「大丈夫?」「大丈夫ですか!」とまわりで叫んでいる声が、次第に遠のいていく

ような気がした。 

 ワタシは息苦しさに耐え切れなくなると、思い切り上体を起こして、そのまま

後ろのベッドにどさりと倒れ込んだ。

 と、同時に、後から後から涙が溢れてきて、どうにも止めることが出来なかった。

 なんの涙だろう。

 生きていたという安堵?

 それとも、死んでいたかもという恐怖?

 両方ともそうだし、そのどちらにも当てはまらないフクザツな感情が、ワタシの

心を満たしていた。

 言葉に表わせないから、涙となって流れていくみたいに。


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