サリアスの砂時計  
VOL,4



「何かしら?」

 一生懸命に普通を装うとしているリシアンサスの声が聞こえてきた。

 きっと心臓の鼓動は、強風に吹かれたかざぐるまみたいに、おそろしく速くなって

いるに違いない。

 だって、ワタシの胸も同じくらいドキドキいってるもの。

 これ以上何かが起きるなんて、絶対にご免だ。

「突然ごめんね。ねえ、あれって本当なの?」

 若い女性の声。リシアンサスとは知り合いみたい。

「あれって? 何のことかしら?」

「私もさっき聞いたんだけど、海辺に流れ着いた余所者を貴女が介抱してるって、

ウワサになってるのよ」

「それ本当!?」

 本気でびっくりしている。

「その驚き様、本当なの?」

「え、いえ。そうじゃないのよ。もう噂になっているなんて、耳に入るのがあまりに

速くて……」

「で、どうなの?」

 それはいいからその先が知りたいのよ、というのがありありな声。

「あの話、本当なの?」

 これで部屋に上がり込まれたら、なんて言い訳が出来る?

 どうするの、リシアンサス?

 祈る思いだった。

「は、半分は当たってるけど……そう、半分は誰かの作り話だわ。たしかに私が介抱

はしたけど、余所者というのは嘘よ。単なる街の子供のイタズラだったんだもの。

流れ着いたフリをして、城の中に入りたかっただけみたいなの。だから、ラグアに

きちんと叱ってもらって、もう帰したのよ」

「本当? ほんとにそれだけなの?」

 いかにもガッカリしたような、でもどこか半信半疑な感じ。

 何を期待しているのよ、この人は。

「何でもなかったのよ。本気にして騒ぐなんていけないわ」

 我ながら上出来な嘘がつけたわ、という誇らしげなリシアンサスの顔が目に見える

ようだった。

 咄嗟にそれだけのことを思いつけるなんて、拍手を送りたい。

「な〜んだ、つまらないの」というあからさまな反応が聞こえてきて、程なくして

急な来訪者は去って行ったようだった。

 嫌な静けさの後、どっと疲れた顔をしたリシアンサスが戻ってきた。

 緊張から解放されて、いっきに色々なものがオモテに出てきたといった雰囲気。

「おつかれさま。あなたにしては大したものね」

 元気付けようと、ボータが半分からかうような言い方をした。

 悪気がある訳じゃないのは、ワタシにも分かる。

 上目遣いにボータを見つめ返すリシアンサスの表情は、まるで叱られた子供みたい

だった。

「そんなことで誉められても、ちっとも嬉しくないですわ」

 意地悪ね、と言いたげな目つきだ。

 ボータは軽く笑うと、さっきまでワタシたちが囲っていたテーブルへと歩みを進め

た。

「そろそろお暇したほうがいいみたいね。これ以上の騒ぎになるのは、アサコに

とっても、私たちにとっても良くないわ。アサコのことは、明日、ラグアたちと話し

合って決めることになってるから。どうするかはそれからね」

「今日はもうおとなしくしてるんだよ」と付け加えると、ボータは食器の乗った

トレーを持って、リシアンサスに見送られて部屋から出て行った。

「そうそう、勝手に部屋から出ちゃダメよ!」と最後に釘を差して。  




 ■運命の遭遇■


 ボータがいなくなってからは、あっという間に時間が過ぎていったように思う。

「私は居間のほうにいるから、アサコさんは寝室を使って。何かあったら、遠慮なく

言ってちょうだいね」

 そう言われてリシアンサスの寝室を空けて貰ったものの、直ぐに眠くなる訳でも

なく、窓辺に置かれた椅子に腰掛けて、惚けるばかりだった。

 室内用の布製の靴を脱ぎ捨てて、膝を抱える。

 冷静になればなるほど、妙に気持ちが落ち着いていくような気がした。

 フツーの女の子だったら、もっと混乱して騒ぎ立てるのかな……

「ここから帰して〜!」

 って、泣きわめくものなのかな? ワタシって普通じゃないのかな?

 なんてことを、冷静に分析してみたり。

 それよりも、ワタシに似ているという”サリアス”という人のことが気になって

仕方がなかった。

 結局、全部の話は聞けなかったワケよね?

 王子だった人なのに、何かの理由があって今は閉じ込められていて……

 あの時のボータたちとの会話をひとつひとつ思い出してみても、手がかりになり

そうなものは見えてこない。

 何故か?という理由が。

 カーテンの隙間から差し込む月の光と、それによって出来る窓枠の影が、いつの間

にか角度を変えていることに気が付いた。

 真夜中近くだろうか。

 それが、よしっ、と決断させるきっかけになった。

 何をする気でいるのよ?と、突っ込んでいるもうひとりの自分がいたけれど。

 居ても立ってもいられなくなる時って、生きていく中で絶対に何度かあるものだと

思えた。

 今がその時。

 何がしたいのかなんてはっきりとは分からない。

 ちゃんと思ってることが出来るのかも分からない。

 それって、ワタシの”朝子”としての現実世界にも言えることだけど、今はそんな

ことはどうでもいいし、関係のないこと。

 動かなければという衝動がある内は、衝動で終わらせずにちゃんと動けるんだと、

自分を信じたかった。
 
 ちょっとだけ汗をかき始めた手でカーテンを大きく開き、音を立てないように

慎重に窓の鍵を開けると、ぎりぎり通れる分の幅だけ上へ押し上げて、ワタシは部屋の

外へと飛び出した。

 隣の部屋で寝ているはずのリシアンサスに向かって、ゴメンナサイ、と心の中で謝り

ながら。

 地面に降り立った途端、ひんやりとした空気が足元にまとわりついた。

 そういえば裸足だったんだ、ということに気が付いて、一瞬、どうしようかと

思ったけど、このほうが足音を立てずに済むワ、と直ぐに気持ちを切り替えた。

 服装も、ボータが着替えさせてくれたという、白いチュニックにベージュのクロップ

ドパンツ。これなら動きやすい。

「こことは反対側にある岬、湾曲しているからこの部屋からは見えないけど……

断崖絶壁の上に塔が建てられているんだ……」


 ボータとの会話を思い出しながら、ワタシはふと空を見上げ、それから自分の影

へと視線を落とした。

 斜めに伸びる黒い影。

 その影を背にする方向……つまり、月に向かって……こっちに間違いないと思える

方角へと小走りに歩き出した。

 無謀だと思う、さすがに。

 でも、確かめてみたかった。何を?って聞かれたら、正確には答えられないだろう

けど、サリアスという人に逢ってみたかった。ただ、ひと目見てみたかった。 

 方向音痴じゃないという自信はあったけど、ワタシは何度も月の位置を見ながら、

城内を歩き続けた。 

 幸い、無造作に建物が建てられているのではなく、大きな建物同士が石畳の路で

繋がれているため、行き止まりになることも、迷うこともなかった。というか、自分

が迷っているのかどうかも、正直判断できなかったけど。

 だって、初めての場所で、迷っていないと言えるほうがおかしいでしょ。

 とにかく、ほぼ直線に進んでいるはずだと、感覚で歩き続けた。

 途中、短い階段を幾つか登り、緩く湾曲した坂を上り、アーチ型の通路を通り。

 
その時になって初めて、この城の広さをマジメに心配してみる気になったけど。

 今さら、引き返す訳にもいかないし……と思い始めた時、何の気なしに逸れた路の

先で、今までとはちょっと違う感じの、広場のようなひらけた場所に出た。

 膝の高さほどの花壇がたくさんあり、それらが囲うように、一人分のテーブルと

椅子が中央に置かれている。そのまわりには6本の柱が立っていて、屋根付きの小さな

テラス風になっていた。

 その近くに、ぽつんと立っている若い木が、妙に印象的だった。

 萌え出したばかりの緑と、月に照らされて淡く光る花壇の白い花が、幻想的な雰囲気

を醸し出している。

 まるで、ここだけ別次元みたい……

 いつものワタシなら、花なんかに気を取られることもないのに。

 一瞬、見惚れてしまったのがいけなかったのか。それが運の尽きだったのか。

 視界の端で人影が動き出したことに気づいた時には、蛇に睨まれたカエルみたいに

気圧されて身動きが取れず、あっという間にその人物が目の前に立ちはだかっていた。

 と思えば、いきなりすごい勢いで胸ぐらを掴まれた。

「誰の手引きで外へ出た? 何故ここにいる?」

「………!」

「誰が出ていいと言った? ここに居ていいと誰が許した? 言いなさい!」

「………」

 知らない顔だった。

 あまりに突然のことで
、涙が溢れてきた。

 直ぐに恐怖でいっぱいになり、そうするつもりがなくても、ワタシの手足や体は

ガタガタと、どうしようもないくらい震え出した。

 

 NOVEL
   BACK   NEXT